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  • 2018.10.02 Tuesday
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*2月に一度アップしたものですが、修正加筆したものを2010年4月5日に再アップします。

この前、なにげにTVをつけたんです。
普段、この番組は今表舞台で輝くスポーツ選手の苦難の道と彼等の偉業の感動を描いていることが多いんですけど、この回は違っていました。(そこが似たような名前の(・・;)“情熱大陸”と違っていいな、と思ったりしました。)

観終わったら、もう大感動大会になってしまった私がいました。。
ものすごく感動した。
あの長野五輪の裏舞台であんなすごいことが起こってたなんて。。

最初、西方仁也という元ジャンプの選手の方が出てきて私、“あら、聞いたことのあるお名前。。”と思っていました。その方はあの原田雅彦選手と同期で、1994年リレハンメル五輪ジャンプ団体で銀を取った選手の中の一人。長野五輪当時、世界でもトップクラスの実力派ジャンパー。でも話を聞いていると、長野五輪の時には腰を痛めたせいで五輪候補からもれ、“テストジャンパー”の一人として招集されていたと。安い民宿を定宿とされ、朝6時に起きて8時にはジャンプ台にいてテストジャンプをするという毎日。五輪選手を経験しているだけにその扱いはとても屈辱的だったとか。。テストジャンパーというのは、整備を終えたジャンプ台が選手達にとって確実に安全に飛行し着陸できるものか、選手達に怪我がないように事前に飛んで証明するのが役割。(あるテストジャンパーの方が実際に言ってましたが)いわゆるモルモットのようなもので。。(T_T)でも、その役目はそんじょそこらの人ではできない。で、集められたのが実力派のジャンパーたち。皆長野オリンピックを目指すも、叶わなかった人達。だから西方さんだけでなく、他のテストジャンパーの方々にとっても“選手として五輪に出たかった。”という悔しい思いを皆抱えており、この過酷な役目は屈辱的なものだった。中には耳の障害を持つ高橋竜二くんや(高橋くんは国際大会で1位の経験もある実力派のジャンパー)、女性ジャンパー・葛西賀子さんもいた。全部で25名の集団。
長野五輪のジャンプ団体戦で何が起こったかというと、1本目が終了する頃に天候が急に悪くなり吹雪になってきた。雪が積もって助走路が滑らなくなり、原田選手が失速。他にも不調をきたす選手が出てきた。しばらく待っても天候の回復なし。そこでJury(審判の最高責任者)たち4人の会議が始まる。1本目が終わった時点での日本の成績は4位。Juryの1人は日本人なので、ここで競技打ち切りは避けたい。他の3人は1本目で上位をつけている国のJuryたち。特に1本目1位につけているオーストリアのJuryはここで競技を終えようと提言しだした。話し合った結果、あの雪のジャンプ台が選手達にとって確実に安全に安定して飛べるものか、テストジャンパーたちが飛んで証明することになった。

ここで奮起したのが裏で控えていた25人のテストジャンパーたち。最初に飛ぶ人達が雪を踏み固め、最後に大きく安定したジャンプをしてJury達にアピールし、競技を再開させようとシナリオを立てた。それまでの悔しい思いを捨てて、日本ジャンプチームの窮地を救わねばと一丸となって雪のジャンプ台を飛んでいく。安全であることを証明するために転べない。雪の中バランスを保つよう手を廻すこともできない。雪で前が見えなくても、きちんと飛んで着地しなくちゃいけない。一人また一人と、雪が助走路に積もっていかないように、後の人が飛びやすくなるよう次々に飛んだ。。

ジャンパーたちがひどい状況下で見事に飛びきっていたところに、Juryたちはそれでも納得しなかった。高橋くんなんか130メートルを超える(それでも記録に残らない)見事な大ジャンプをして見せたのに。最終的にJuryたちは、五輪選手と同等の実力のある西方仁也を指名。西方が安定したいいジャンプを飛んで安全を証明しなければ納得できない、と言ってきた。そこで西方さんは日本ジャンプチームとテストジャンパーたちの思いを一気に引き受け、テスト飛行を試みる。公式な記録など何も残らないけれど、これで日本ジャンプチームの運命が左右される。重責だった。そして、飛んだのは123mのK点を超える見事な大ジャンプだった!これで安全が証明されたとしてようやくJuryたちは納得し、競技が再開された。

日本ジャンプチームの2本目、原田選手がジャンプ台に向かう途中、テストジャンパーの控え室に向かって『よし、いくぞぉーーー!』と大声で気合を込めた掛け声をかけて行ったとか。舟木さんもテストジャンパーたちの境遇や思いをよく知っていたので、飛ぶ時は『ちゃんと結果を出さないと!』という思いで飛んだそうです。結果、団体1位。金メダル!原田選手が金を取った後のインタビューで『俺じゃないよ。。みんなで。。』とぐじゅぐじゅに泣きながら言ったその“みんな”というのは、ジャンプチームの4人だけを意味するのでなく、テストジャンパー25人の方も含まれていたんだと今になってわかりました。

西方さんがおっしゃっていましたが、テストジャンパー一人一人が“この飛行が(日本ジャンプチームの飛行に)繋がれ!”という思いで飛んでいたそうです。そして見事その思いが繋がって、金を取った。何とも言えない喜びをかみしめたようです。耳の障害を抱えた高橋くんも日本チームが金を取ってすごく嬉しかったと言ってました。

すごいなと思うのは、あの五輪のあの会場で観客は何が行われていたのか何もわかってなかったこと。ただ、『ああ、テストジャンプやってるんだー』とそれだけだったと思う。その中でジャンプチームを助けようと決死の思いで飛び、記録も残らないのに、雪がゴーグルにすごい勢いで当たって目の前が何も見えなくて恐怖なのに、見事に飛んで着地し、安全を証明してみせたテストジャンパーの面々。ある人は“あの飛行は一生の思い出になって残っている”とも語ってる。すごい偉業を成し遂げたその顔はどの方も誇らしげで、嬉しそうで、とてもさわやかだった。番組の始め、テストジャンパー達の1枚の集団写真が出たんだけど、その中で皆さんとても嬉しそうにしているのがちょっと不思議だった。番組の当初、皆さんテスト飛行が屈辱的だと言っているのに、なんでこんなに嬉しそうなんだろう?と思っていたんです。番組を見終えて、きっとあれは五輪ジャンプ団体の競技の後にみんなで撮った写真なんだろうな、と納得しました。西方さん、ピースしてたし。(^^)

すばらしかった!きらきら

絆(きずな)でつかんだ栄冠 〜長野五輪 ジャンプ団体〜

絆(きずな)でつかんだ栄冠 取材現場から

  • 2018.10.02 Tuesday
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